久野 潤(くの じゅん KUNO, Jun)

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< 学 歴 / 職 歴 >

(昭和55年8月1日生まれ、30歳)
  生駒市立佐保南幼稚園、生駒市立鹿ノ台小学校、私立奈良学園中学校・高等学校 卒業
   慶應義塾大学総合政策学部総合政策学科 卒業 (総合政策学士)
    京都大学大学院法学研究科国際公共政策専攻 修了 (法学修士)
     現在 大阪国際大学ビジネス学部 非常勤講師(政治・経済担当)



< 学 業 >

専 門: 日本政治外交史、特に支那事変(日中戦争)初期の国策遂行における知識人の影響

 主に扱っている分野: 国際政治学、国体(國體)論、情報社会論

  所属学会: 軍事史学会
         政治経済史学会
         日本危機管理学会
         皇學館大學人文學會
         21世紀日本アジア協会(日亜協会)
         憲法国家理念研究会  etc.



< 活 動 な ど >

戦略・情報研究会 代表 【東京】

 平和を考える若者の会 代表 【京都】

  台日交流関西青年フォーラム ―― 2007〜2009年度フォーラム 共催


< 生 い 立 ち >

大阪府枚方市生まれ(母が身籠ったのは旧西独Hamburg)、3才の時に奈良県生駒市に転居、大阪・京都に近接した「奈良」で人生の半分を過ごす
幼稚園時代
 多感かつ好奇心旺盛で、自由闊達な園児ライフを送る。

(空気読めないエピソード) クリスマス・パーティの際にみんなの前で“サンタさん”に向かって「運転手さ〜ん!!」と大声で呼び掛けてしまう(送迎バスの運転手さんが扮していたため)。

小学校時代
 「小学校入ったら何教えてもらえるんやろか〜?」と期待に胸を膨らませて入学したが、理科の実験など以外は結構ベタでつまらんな…と感じる、先生から見たらヤな児童であった。教室で教科書以外の知的書物を読んだり、「先生はそう言いますけどこの本にはこう書いてありますよ」と指摘したりするとなぜか叱られるといった変な不文律をもつ小学校。ある時担任に濡れ衣で泥棒扱いされ、彼女が「私は大学時代に心理学を専攻していた」などと主張したことで心理学への不信感が芽生える。中学受験をすることになったが、受験生というだけで色々と日々イヤミを言われる羽目に。

(かわいくないエピソード) ホームルームでなぜか「明智光秀は織田信長を殺して天下を取ったけど、たった3日で終わったから『三日天下』って言われてるんです」と言った担任の先生に対して、「先生、本当は11日(天正10年6月2日〜13日)ですよ!」とツッコむ。

中学〜高校時代
 小学6年生の後半期に遊びを我慢して進学校に入学したが、第一志望に入れなかったことで「一生懸命勉強しても報われかったら無駄」というヒネクレた思考体系に。将棋部では主将を務め全国大会に出場するも、学校帰りはゲーセン通いの毎日で悪い仲間との付き合いも。勉強では、英語だけ最初頑張って勉強したので当時の教科書の文章は今でも暗唱できる。理系科目は大の苦手(模試で生物の偏差値が英語の半分であったことも)。高校3年生の夏以降、研伸館予備校に通いつつ急いで勉強し運良く大学に現役合格する。

(痛いエピソード) 中学校に入学した直後の合宿での出し物で女装させられ、口紅代わりで塗った赤ペンがメイク用でなかったためか唇がその後数日間カブれる。

大学時代
 初めて関西から離れ、湘南の地で独り暮らし。世に言う「慶応ボーイ」だが、合コンなどは全く行かず。当初アイセックという団体に所属し、首都圏を中心とする他大学の学生たちと知的(?)交流を深め、活動がてらドイツや中国に行かせてもらったのは貴重な経験。学部2年次にヴァージニアへ、3年次にウィーンへ短期留学する。2年次に立ち上げて主宰した「総合政策研究会(総政研)」はその後徐々に規模が大きくなり、大学4年生の時には七夕祭りと秋祭り(共に大学の学園祭)で国会議員・中央官僚・民間有識者の方をお呼びし「<政>・<官>・<民>から転落日本を斬る!!」なるテーマでパネルディスカッション形式のイベントを開催。小さい頃からの好奇心は健在で、湘南からよく永田町・霞ヶ関にも出掛けていって一次情報を収集。その他人生の先輩方にも様々な貴重な機会を頂き、福澤諭吉先生が『文明論之概略』で述べた「社交」の重要性を痛感する。卒業後の進路について当初は法曹界〜ジャーナリストなどと悩んでいたが、3年次に御世話になった渡辺靖先生に学問の面白さを、阿川尚之先生に政治史の面白さを教わり学者を志すことに。また非常勤で教鞭を取っていた八木秀次先生には、目下の日本が内憂外患で如何に大変な状況になっているかといった危機感をお伝え頂く。関東を去る3週間前に、関東中の学生が参加する国際関係の勉強会を代表として立ち上げる(その時の同志は今も大切な仲間)。

(普通はどうでもいいエピソード) 首都圏に来てみると日本文化センター(テレホンショッピング)の電話連絡先が「おおさかゼロぉロクぅ〜〜〜」でなく「とおきょうゼロっサぁ〜〜〜ン」であったことに深く落胆。

大学院時代
 歴史系の学問的基礎を一から勉強し直しつつ、人間・環境学研究科で国際政治史を、法学研究科で日本政治外交史を研究する。大学院在籍期間を通して中西輝政先生に大変懇切に御指導頂く。悪いクセが出て種々の課外活動にも手を染め、前述の国際関係勉強会を東京でも毎月開催したほか、関西に大臣クラス含む国政の現場(永田町・霞ヶ関)の現場の方をお呼びして毎月講演会や勉強会を開催する「KGSI(関西統治機構研究会)」を設立(各新聞に活動掲載)。論壇デビューも果たしたが、同時に心無い2ちゃんねらーなどによる気色悪い誹謗中傷を喰らい始めた時期でもある。

(若気の至りなエピソード) 京都府庁に用事ができた夏のある日、そのまま帰るのももったいないと思い知事宛てに「久野ですけど御時間ないでしょうか?」と連絡したところ知事室に通して頂く。しかしその時のアロハシャツ+白ズボンという格好のままで参上したため、その後2度と知事室に呼んで頂けることはなかった。